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レビュー『もう明日が待っている』

  • user 内田
  • time 2024年8月17日
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もう明日が待っている』鈴木おさむ 文藝春秋

大ヒット番組「SMAP×SMAP」の放送作家として20 年以上SMAPと仕事をしてきた鈴木おさむさんの書いた『小説SMAP』。

 

全体を読みまして、いくつか感じたことを書きたいと思います。

・森且行君がSMAPを脱退するときのこと
1996年4月15日、SMAP×SMAPが開始し、22.4%の高視聴率。SMAP6人が時代を変え、テレビの歴史が変わり、アイドルが芸人さんや司会者と並んで、冠番組を持つ時代になったにも関わらず、メインコーナーのビストロSMAPは料理が得意な森且行君がいるからこそ成り立つ中、その森且行君が5月で脱退することが決まった。森君の会見にはリーダーの中居君が最初に現れて「あいにく森君はスケジュールがつかず欠席となります」という冗談を言って柔らかい空気を作る、素晴らしい。SMAP×SMAPで森君を送り出す回を作り、6人で涙を流しながらベストフレンドの曲を歌う、劇的な送り出し。森君の脱退後、パワーダウンすることを心配する人がたくさんいたが、ネガティブな期待を5人は振り切り、より強く肩を組み力強く進んだ。

・SMAP×SMAPにマイケルジャクソンやマドンナに出演してもらったこと
アイドルがバラエティー番組を初めて持ったこと、視聴率も上げていき大人気番組にしていったことだけでも凄いのに、世界のスーパースターであるマイケルジャクソンやマドンナなども番組出演してもらうために、ADや放送作家などみんなで働きかけまくった姿が素晴らしい。極限の緊張や、実現するためのとてつもない努力、才能ある人を集めて大変でもやっていこうという森上がり、どれをとっても物事を成功させるために必要な要素だと感じます。

・木村拓哉さんが結婚を決めた時
2000年の秋、鈴木おさむさんが木村拓哉さんのラジオ番組に立ち会った後、「俺、結婚するんだ」という言葉を直接言われ、人気絶頂時に結婚すること。この事はSMAP単独コンサートの最終日終了後にファンに発表する予定であったが、その前に突然新聞にすっぱかぬかれてしまいマネージャーの飯島さんより「今日、ライブ終わったあと、会見するから」という話。日本一抱かれたい男である木村拓哉も弱気となっていたが「男らしくない!」といいその日のコンサートの最初に木村拓哉さんが発表することに。緊急時の対応をみんなで協力「ピンチはチャンス」として助け合って乗り切った。

・2011年3月11日東日本大震災の時の話
大地震の発生時、東京の在住の多くの方が、放射能被害などの様々な噂に不安を抱き、西日本の方に逃げたりしていた中で、鈴木おさむさんも沖縄への飛行機チケットを予約まではしたそうです。そのような中でもSMAPの5名は3月21日に生放送で自分たちは東京お台場から全国民を元気づける言葉を発信していった。確かに、災害時は不安に押しつぶされそうになるけれども、そのような中で、勇気を振り絞って生放送を行った姿は素晴らしい。被災地にもSMAPのメンバーが行き27時間テレビの放送が行われ、福島に行った香取慎吾君と草彅剛君は控室に戻った、慎吾君は剛君を見て言った「本当にこの仕事をしてきて良かった」と。心からそう思ったのだろう、自分たちがこの仕事を続けている意味を感じたのだろう。

・2016年SMAP解散に向けてのこと
1996年4月から放送開始したSMAP×SMAP。2016年1月18日の放送が初めて当日に生放送になることがジャニーズ事務所からの要望で決まった。長年一緒に頑張ってきたチームも、脆く壊れていく事がある。信頼をしていたマネージャーが事務所を退職するときに5人でついていく話もあったが、ファンを守りたくて家族も持っているメンバーはそれもできず。なぜ一人だけ結婚出来て自分はできないのか。それを留まらせるために慰めるリーダー。鈴木おさむさんは生放送を観た人を安心させるために、言葉をつくりましたが、結果としてこの生放送は観た人の笑顔を奪うものになったと書いております。解散するかもしれないという事で世間に迷惑をかけたことの謝罪の言葉を22時の放送4時間前にジャニーズ事務所に投げる、放送45分前に事務所の創業家の人間より怒りのダメ出しの手紙が届く。必ずこの言葉を言わせろ「今まで25年以上一緒にやってきたメンバーの1人(木村拓哉さん)がジャニー社長に謝る機会を作ってくれたおかげで今僕らはここに立ててます」という言葉。思ってもいない言葉を、残酷な言葉を誰に言ってもらうのか、僕らが出した答えは草彅剛君だった、彼に頼んでみようと、彼の部屋をノックして入りお願いをし、そして彼は言った「分かった」と、一言だけ。そして、、、彼らの解散が発表になったということ。経営の中で創業家はどこかで引いた方が良い、それがわかる話でした。

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