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【本】眠れなくなるほど面白い、歎異抄

  • user 内田
  • time 2025年12月12日
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眠れなくなるほど面白い、図解歎異抄』日本文芸社 山口 謠司

『歎異抄(たんにしょう)』は、鎌倉時代後期に書かれた仏教書で、浄土真宗の開祖である親鸞(しんらん)の思想を伝える聖典です。

歎異抄の魅力のひとつとして、親鸞の教えの基本である「念仏さえ唱え続ければ、善人も悪人も平等に救われるという考え方があります。いつの時代も人は落ち込んだり悩んだりします。歎異抄は誕生から700年以上の時が流れておりますが、いつの時代にも共通する人間の心の弱さと、どうすれば嫌な気持ちが晴れ、ポジティブに生き抜くことができるか、そのヒントが散りばめられており、私たちの心の安らぎを与えてくれます。

善人なほもって往生をとぐ、いはんや悪人をや。~第3条~」
人は誰でもミスをしたり、間違いを犯してしまったりするものです。そんなときには「自分はダメだ」と思いがちですが、落ち込む必要はありません。「悪人こそが救われる」のですから、誰でも救われ、完全に道がふさがれていることは無いのです。

念仏を回向して父母をもたすけ候はめ。~第5条~
目標を達成できた瞬間、自分の力や努力だけで達成できたと思いがちです。しかしそれは間違いです。自分一人の力だけで達成できたわけではないのです。周りの人たちに対しても感謝の気持ちを忘れてはいけません。念仏を唱えることは「阿弥陀仏の慈悲」が両親にも届くのです。

さるべき業縁のもよほさば、いかなるふるまひもすべし。~第13条~」
過去の行いと状況が人に思いもよらない過ちを犯させてしまうことがある。人間は自分の感情で、自分の行動を完全にコントロールできない生き物です。周りの人が悪さをしてしまったときも、頭ごなしに責めてはいけずやさしい気持ちで向き合いましょう。自分自身の時も同様に、自暴自棄になり自分を責めずに、理由を反省し同じ過ちをしないようにすれば良いのです。

一向専修のひとにおいては、回心といふこと、ただひとたびあるべし。~第16条」
念仏に専修してしている人にとって、心を改めることは、たった一度きりでいいということです。しっかりとした信心を一度定めれば、何度も「回心(悔い改める)」する必要はないと考えていたのです。阿弥陀仏を信じるという心が一度定まれば、それは「阿弥陀仏によって救われている」という揺るぎのない安心となり、迷いや不安が生じても大丈夫です。

念仏者は無碍の一道なり。~第7条~」
念仏は障害がないまっすぐな道です。人生は楽しい事ばかりではありません。予想もできないような困難な場面に遭遇することもあります。しかし阿弥陀仏を信じ念仏を唱える人は「阿弥陀仏の慈悲」によって救われるのですから安心です。この言葉は私たちに向けて「困難を乗り越える力」を与えてくれます。阿弥陀仏の教えとは大きな船のようなものです。ですからどんな辛いことに遭遇しても大丈夫なのです。

本願を信ぜんには、他の善も要にあらず、念仏にまさるべき善なきゆえに。~第1条~」
阿弥陀如来の本願を信じ、念仏を唱えることが最も重要で、念仏を唱えること以外に善い行いをする必要がありません。
人はあれもこれも頑張らなきゃと思いすぎ、疲れてしまうことがあります。しかし「本当に大事なことは何か」を考え、「大事な事だけをやればいい」と考え方を変えたら心が楽になります。

 

 

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